小国氏が登場し、小国にゆかりのある名だたる武将たちがこの地を治めました。
1212 | 建暦2年 | 小国頼連、鎌倉幕府御弓始の功により、越前稲津保地頭になる |
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1335 | 建武2年 | 小国政光、足利尊氏討伐に参加。蒲原津に築城する |
1336 | 延元1年 | 小国政光、下越北朝軍奥山庄を攻撃 |
1337 | 延元2年 | 小国政光、下越北朝軍岩船宿を攻撃 |
1587 | 天正15 | 小国姓を大国姓に改める |
1598 | 慶長3年 | 上杉景勝、会津へ移封される。小国は堀秀治領になる。家臣の佐藤主膳信就により統治される |
![]() 小国氏発祥の地記念碑
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平安時代から小国を支配していたのは小国氏です。小国氏は源頼政の弟、源頼行をルーツとしています。頼行は小国を領地にして小国姓を名乗りました(実際頼行が小国に住んだかどうかはわかっていません)。頼行は保元の乱で崇徳上皇側について敗北したため、佐渡へ流刑となり、途中自ら命を絶ちました。敗北した頼行の子宗頼は、小国の地を出て現在の新潟市西蒲原区岩室温泉・石瀬の天神山城に拠点を移したと言われています。宗頼の息子頼継は、鎌倉幕府の弓始めの儀式で弓の名人として将軍実朝をうならせ、小国氏の力を全国に知らしめました。鎌倉時代に書かれた「吾妻鏡」という歴史書にそのことが記されています。 南北朝時代、頼行から7代目にあたる小国政光は、南朝勢力の棟梁として越後各地の北朝勢力に対抗して善戦しました。しかし南朝が敗北したため、小国の史書等とともに抹殺されてしまいました。頼行・宗頼・頼継と並び、政光もまた小国を代表する武将です。 |
![]() 直江兼続の弟・小国実頼(後の大国実頼)ゆかりの地である小国地域に、「小国澤城址記念碑」が建立されました。
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2009年に放送されたNHK大河ドラマ「天地人」で話題になった直江兼続の弟、大国実頼(大国と書いておぐにと呼ばせたという説もあります)は、小国を治めた人物です。 上杉謙信の死後、上杉景勝と上杉景虎による跡目相続争い「御館の乱」が起こった際、小国氏は景勝に味方して戦いました。勝利した景勝は腹心の樋口与六(後の直江兼続)を与板城主の直江家へ婿入りさせ、弟の樋口与七(後の大国実頼)を小国家の跡継ぎとしました。実頼は景勝の命令で天正15年、小国を大国と改姓し、「但馬守」という役職につきました。戦国時代、小国氏は「武功の家也」などと称えられるほどの活躍をしたと言われています。 |